他愛ないことを話すだけでも(2)

大島愛が再び目を開けた時、それから幾許も経っていなかった。丁度唐沢佳奈が駆け寄って来た所だった。もう意識ははっきりしていた。
「大丈夫だよ、少し眩暈がしただけだから」
大丈夫か、と心配そうにしている佳奈に愛は笑ってみせた。それでもまだ不安そうな表情を見せるので、愛はもう一言付け加えた。
「昨日から調子悪くて……私もトイレ行ってきて良い?」
そう言ってニヤッと笑うと、佳奈は察してくれた。
「ああ、あたしもそうだったの……あの日でしょ?」
佳奈もニヤッと笑った。女友達はこういう所で融通が利くから良い。愛はつくづくそう思っている。これが男子だとこうはいかない。あたふたして、変に気を使ってくるのだ。挙句気を使ったことで自尊心を満たしていたりする。全く、何も分かっていないんだよな。
 と、どうでも好いことを考えている内に、愛はコンビニのトイレまで辿り着いていた。個室の扉を閉めて、愛は口を開いた。
「……で? あんたは何処までついて来る訳?」
バリアフリーのトイレにちゃっかりと入って来ている死神に声を掛けた。
「いえ、ついて来るなとは言われませんでしたから」
ケロッとした声で紳士風の死神が答えた。その姿に愛は嘆息する。女のトイレに入ってくるとは、デリカシーという概念を超越している。
「信じられない神経ね、全く。人は見かけによらぬものだとは知っていたけど、まさか死神までもがとはね。紳士なのは外面だけなのね」
「てっきり一対一で話をしたいのかと。そうではありませんでしたか?」
「いや、そうだけどさ、そうなんだけどさ……」
どうも腑に落ちない。まあ好いや。
「それより、」
そう言って愛はギロリと死神を睨んだ。佳奈には蛇に形容された視線である。
「私を殺しに来たんでしょ? 歓迎されないのは分かっているわよね?」
首肯する死神。愛は言葉を続ける。
「でも残念なことに、Acht-Acht(アハトアハト)で撃ったって、貴方は私を殺せない……」
そう言って俯く愛。
「? 何を訳の分からないことを……?」
小首を傾げる死神。
「惚けた振り? 何故あの布で私が死ななかったと思う?」
そう言って愛が挑発的に、しかし何処かしら自嘲が混じった様に笑うと、死神は口元を歪めた。
「やはり、何か有るのですね……?」
「知りたい?」
もう一度挑発的な笑みを、今度はより自嘲的なそれを浮かべる愛。
「ええ、知りたいですね。しかし、知りたいのは山々なのですが、少々私にもお話をさせて下さい。たまには私も人に聞いてほしい時があるのです」
前置きを置くほどさして長くなる話でも無いのでございます、という前置きを置いて、紳士風の死神は滔々と語りだした。

私は、人を死に導くときには成る可く穏やかに、安らかにがモットーなのです。私は今まで何人もの人を看取ってきました。或る時は、あどけない少年でした。幼い子供に、君はあと何日で死ぬことになったのだ、と伝えると、大抵その子供は残りの人生を充実して過ごすことは出来ません。突きつけられた現実が信じられなくて、しかし私という死神の姿は余りにもリアルで、惑う内に自分を失い、その状態のまま死んでしまうのです。それは幾ら何でも可哀想です。私とて、無垢な少年の早逝はとてもとても悲しいのです。しかしそれは避けられないことなのです。その現実は私には分かっても、きっとその少年には分からないでしょう。ですから私はその様な子供には、死を宣告してから直ぐにあの世へ送ってやるのです。
また或る時は、妊婦でした。結婚したてで、夫と幸せな毎日を過ごし、これから出産してもっと幸せな日々を送る筈の人です。しかし、死は誰にでも平等に訪れます。そのような人にでも、私の様な者が行かなければならないことも多々あるのです。しかしながら、死ぬ時の出来事は人によって異なります。私は、その人その人にとってベストなそれを、拙いながらも差し上げたいと思っております。私は、貴女の伴侶にだけ、死ぬことを伝えなさい、と申し上げました。実はこれは、他の人に死を告げるというのは、やってはいけないことです。秩序が乱れるため、我々死神が抑制せねばならないことです。しかし、私は逆にそれを勧めました。勿論それをしたことにより私は然るべき罰を、上から受けます。ですが私は、私のやったことが悪かったとは思っておりません。結果、その妊婦は幸せに逝けたのではないか、と思うのです。最期、彼女とその夫は、固く抱擁していました。何時までも止まらない涙を流して、不幸すらも乗り越えて幸せそうにしていました。