解剖学的嗅ぎ煙草入れに色恋なんて似合わない

三島の『潮騒』を読みました。小説を(性懲りもなくまた)書きました。文学的に書いたつもりです。でも「文学的」ってなんでしょうね。わかりません。なお、このお話はこれで完結しています(つもりです)。



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この時期になると、私の母校の桜の青葉は、意気揚々とした生徒たちの前途洋々とした将来を差し示していた。
 出張で仙台に来たので、ふと懐古の念に駆られて、母校に立ち寄った。卒業したのは何年前のことであろうか。私の在学中は男子校であったが、現在では共学化して、校門の前に佇んでいる私の前を今も高校生の男女が通り過ぎていく。この高校は仙台の中心部から数キロ離れたところに位置する。地元では、随一の進学校であることと、校内に植わっている桜が綺麗なことで有名だった。
 ここの多くの卒業生と同じように、私ここに通っていた高校生時代は、今までの人生の中で最も楽しい時の一つだった、と胸を張って言える。ここには楽しい思い出がたくさんあるが、今でも鮮明に思い出すことができる思い出が一つある。少し昔話に付き合ってほしい。



 男子高の生徒である私たちにとって、同年代の女性というものはとても貴重なものだった。来る日も来る日も視界に入るのは野郎どもである。女性への渇えが溜まっていた二学年の、丁度今日のような季節の、初夏の頃であった。部活を終えて日もすっかり暮れた頃、下校するときのことである。校庭のこちら側の端にちょこんと腰かけている少女がいる。なぜこんなところに、と思ったのと、その少女への興味で、私は少女に近づいた。少女は、透き通るような肌に、純白のワンピースを着ていた。何となくあどけない感じがした。私は少女に挨拶をして、こんな遅くまでいると危ないよ、などとつまらないことを言った記憶がある。少女は無口であった。口では答えずに、小さく頷いたのみであった。数日して、また同じように帰宅するときにその少女に会った。私はまた話しかけた。何のことはない、その少女が可愛らしかったのである。彼女は相変わらず無口であった。しかしそれがかえって、その少女のミステリアスさを演出し、魅力となっていた。私はその少女に会うたびに、寡黙な彼女に話しかけ続けた。私は恋をしていた。
 ある日、ついに彼女が私に声を聞かせてくれた。何かの行事で普段より遅くなった時のことであった。それをきっかけに少しずつ、私たちは会話をするようになった。少女は自分のことを語りたがらなかった。私のありふれた日常を、下手な語り口での話を聞きたがった。私の心に占める少女の割合は日に日に増えていった。いつも会いたいと思うようになった。しかし、彼女は昼間に姿を見せなかった。私が遅くまで学校に残り、疲弊しているときに限って姿を見せた。ある日、私は堪え切れずに彼女を後ろから抱きしめた。彼女は抵抗しなかった。白い花のような香りがした。
 私の卒業まで、その微妙な関係は続いた。そして、卒業式のことである。校内で、大勢に祝福される中、私は人混みの中にあの少女を見た。日中に彼女を見たのは初めてであった。私は彼女のもとへと駆け寄った。彼女は祝いの言葉を述べ、照れたような笑いを見せた。そして、彼女はこう言った。本当に残念だけど、私はあなたと一緒には進んでいけない、と。そして、少女は人混みの奥へと消えていった。白い肌に白い洋服の彼女は日に燦然と照らされて、瞬き一つすれば今にも見えなくなってしまいそうであった。俺は少女を追いかけていた。自然と考えなしに彼女の手を握りしめていた。女は驚きの表情を見せた。私はあなたとは違う世界で生きているから、ここでしか生きていけないから、と彼女は言った。俺はそれを否定した。自分で境界線を引いているだけじゃないかと反論した。彼女は口ごもった。俺はさらに発破をかけた。ここで進むことができなければいつまでも進むことができないぞ、と。少女の眼に光が宿った。そこには未来への希望が輝いていた。俺は握りしめていた手を引っ張って、校門の手前で歩みを止めた。女はこちらを向いて微笑んだ。私は笑い返した。それから、二人で、外へと一歩を踏み出した。彼女は、今まで見たことがないほど幸せそうに微笑んでいた。校外に足を二人同時に踏み出した。ふと彼女の方を見ると、彼女は地面についた足からどんどん色が薄くなっていった。俺は動揺した。次に踏み出そうとした二歩目を止めた。しかし、少女は構わずに進んでいき、私を先導した。そして彼女は、微笑だけを残して、静かに消えてなくなってしまった。